乗光寺について

乗光寺は、山号を指月山といい、高知県の東部安田町の下庄田にあります。浄土真宗本願寺派の末寺で、幕末の名儒学者岡本寧浦の生家でもあります。

寺史

寺の創建は古いと伝えられているのですが、残念ながら寛永15年(1638)12月安田大火の折この寺も焼失し、古書が残っていないため詳しいことは分かっておりません。 

創建当時のご本尊阿弥陀如来は、長さ一尺七寸の立像で古書には聖徳太子の作とあり、中世期(1200~1635年)における安田庄(現在の安田町、馬路村)の領主である安田三河守が自分の守り本尊を寄附したと伝えられています。

寺伝によると、岡本家の祖先岡本源太郎治長は元幡多一条家の家臣で一条氏の息女が安芸城主安芸備後守國虎に縁組みした際、その付き人として安芸に来たと伝えられています。その後、長宗我部元親との戦で國虎が敗れ安芸家滅亡ののちに、難を安田に避けここに落ち着きました。

そして源太郎治長(常林)の子慶圓は仏教を修め、後に一寺を建立し乗光寺と称したといいます。その年代は天正末期(1580年ごろ)と推定されます。

現在の本堂は昭和36年再び不審火による火災に遭い、昭和57年に再建されたものです。

乗光寺山門

当寺院の珍しいコンクリートの門柱や鉄製の扉などは、三菱との交流で鉄筋コンクリート造を採用し、建築されました。鉄製の門扉は大戦中に供出されていました。親柱上部には金属製の照明用飾り金具を取り付け、現代的な意匠が残されております。安田町の大正期の意匠を残す寺院山門として価値があり、国指定登録有形文化財(建造物)です。

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乗光寺書院

寺院の敷地の中の伝統的な和風住居は、寺伝によれば三菱創業者岩崎弥太郎の岩崎家とそのいとこにあたる第百十九国立銀行(後の三菱銀行)頭取豊川良平の豊川家からの寄進によって建てられたと伝えられております。数奇屋の様式を取り入れ、土佐の基本的な間取りを採用した品格のある質の高い建築となっており、国指定登録有形文化財(建造物)です。

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系譜

 初代 慶圓

 二代 祐誓

 三代 諦蘇

 四代 義天

 五代 辨翁(弁翁)

 六代 立然

 七代 泰證

 八代 快蘇

 九代 弘道

 十代 弘昭

浄土真宗本願寺派 指月山 乗光寺

JodoshinshuHongwanji-ha Shigetsusan Joko-ji

現住職 十一代 田中敦也